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Your search : [ author:文·蕭琳 写真·馬暁旋] Total 21 Search Results,Processed in 0.086 second(s)
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1. 明·堆朱「群仙祝寿図」円盒
漆の木は中国の中部以南の地方に大量に育っている。漆の樹液を簡単に加工してできる天然漆は中国の特産であり、これを金、銀、紅、緑などの顔料と調合し、色彩豊かな漆料ができあがる。中国の漆器の歴史は古い。文献としては『韓非子·十過』に4000年以上も前の舜、禹の時代に漆を塗った木器を用いた、という記述がある。また考古学的には、さらに古い6000~7000年前の浙江省河姆渡遺跡からも漆の碗が発見され、300
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 12 PDF HTML
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2. 清·琺瑯彩嬰戯紋双連瓶
高さ21.4センチ 口径最長9、最短5.2センチ 底径最長10、最短6センチ中国で現在最も古い彩色磁器は、南京市から出土した三国時代の壷で、淡黄色の生地に褐色で空飛ぶ仙人と雲が描かれ、これに青黄色の釉が施されている。琺瑯の彩色磁器は、これに比べると歴史がはるかに浅く、清代の康熙期にフランスから製品と技術が伝来し、中国伝統の七宝工芸と融合して、新しい彩磁を生んだ。ガラス質に様々な金属酸化物を加え油で
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1997 Issue 1 PDF HTML
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3. 明·釉裏紅軍持
中国の著名な彩色磁器「釉裏紅」は、元代半ばに興り、晩期に栄えた。当時の景徳鎮窯の大きな成果のひとつである。釉裏紅の制法は、酸化銅を着色材として素地に直接模様を描き、透明な釉を薄くかけたあと、1200度前後で焼くと、初めて紅色が現れる。紅色は見る人に喜びと安らぎを与え、中国では古くから吉祥富貴の色とされてきた。釉裏紅の色合いの洗練された華麗さは、伝統的な審美観とも合い、広く人々に愛された。元代に大量
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
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4. 清·黄套緑玻璃蝈蝈鼻烟壺(清代·黄と緑のガラス製キリギリス模様の嗅ぎ煙草入れ)
17世紀初頭、中国とヨーロッパとの間に幅広い貿易および文化の往来が始まった。数多くのものが伝来したが、その中に当時ヨーロッパで高級な嗜好品として流行していた嗅(か)ぎ煙草(鼻烟)がある。嗅ぎ煙草は商人や宣教師たちから皇帝や高官たちへの贈り物として持ち込まれ、清の康熙帝はじめ歴代の皇帝に愛用された。康熙帝は通常の口で吸う煙草は何度も国民に禁じたが、嗅ぎ煙草だけは除外した。上が好むものは下にも及び、こ
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1997 Issue 5 PDF HTML
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5. 十八世紀·舞踏之神湿婆(シバ)銅像
シバ(湿婆)は創造神ブラフマー、保護神ビシュヌとともに、バラモン教、ヒンズー教の三大神である。シバとは「幸福をもたらす」の意味で、破壊·再生神、苦行神であり、また舞踏の神でもある。バラモン教の『ブラーフマナ』、ヒンズー教の『プラーナ』などの教典には、シバにまつわる神話が多い。それによると、彼は強い魔力を持ち、額にある第三の目の神火は一切を焼き尽くし、かつて魔物の住む三つの城とエロスの神を灰燼に帰し
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1997 Issue 8 PDF HTML
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6. 明·徳化窯渡海観音立像
徳化窯は中国東南部の福建省徳化県にあり、宋、元の時代に始まり、明の時代に最盛期を迎えた。その白磁は材質と釉(うわぐすり)が渾然一体、白玉のようなつやを持ち、「象牙の白」「中国の白」などと呼ばれた。中でも一代の名人何朝宗の観音像は「東洋芸術の珠玉」と賛えられている。何朝宗は来観とも呼ばれ、明の嘉靖、万暦年間の徳化県隆泰郷の人である。彼の作品は高雅で、姿は真に迫り、衣装の線の流れは見事に描写され、世俗
Author: 文·王健華 写真·馬暁旋 Year 1995 Issue 12 PDF HTML
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7. 明·永楽青花描金碗
中国の陶磁器の発展史上、青花磁器は民族の特色をよく表し、重要な地位を占めている。青花とは、一般にコバルトを使った紬で絵模様を描き、その後に透明な釉を施して焼く藍色の花模様の彩磁器を指す。色調は典雅で、水墨画の味わいを持ち、広く愛好されている。青花磁器は唐代に始まり、宋、元代に成熟し、明代の初期には磁器生産の主流になった。明の永楽年間(1403~24)の作品は、伝統に大胆な創造を加え、製磁技術も発展
Author: 文·王健花 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
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8. 清·象牙彫刻「海市蜃楼」景屏
野生動物保護が叫ばれる現在、象牙彫刻を中国で見ることは難しくなった。だが象牙彫刻は特殊工芸の一つとして中国では長い歴史を持っている。七千年以上前の浙江省·河姆渡遺跡と五千年以上前の山東省·大汶口遺跡からは、ともに象牙の器や彫刻が出土している。河南省安陽の商代の婦好墓から出土した「嵌松石獣面紋象牙杯」などを見ると、当時の工芸師の知恵と技術に感嘆せざるをえない。商代以後のもので、出土した象牙の彫刻や製
Author: 文·劉静 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 2 PDF HTML
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9. 明·犀角弥勒仏
サイの角は中国の古代では貴重な薬の一つで、解熱·解毒などに効くとされた。当時、貴族たちはサイの角を杯に用い、角のわずかな各種の元素が酒に溶ける効果を期待した。明·清の時代には、大型の彫塑よりも、小さく工芸的な装飾品が盛んになり、宮廷貴族の間でサイの角の彫刻が一時の流行になった。サイの角の杯は形や表面の模様が多様で数も多いが、人物を彫ったものは極めて少ない。ここに紹介するのは、アフリカのサイの角を彫
Author: 文·劉静 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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10. 宋、清·紫檀盒套装蓮花白玉魚(紫檀の器に納めた宋と清代の玉製の魚と蓮)
中国では七千年以上も前から、天然の玉で道具や装飾品を作っていた。飾りには水に住む動物を扱ったものが多く、中でも玉製の魚(以下、中国風に玉魚と記す)が目立つ。玉魚は約三千年前の商·周代にも見られ、古代の重要な服飾品だった。河南省安陽市にある商代中晩期の「婦好」墓からも大量に出土している。玉魚が大いに流行したのは、宋から清代にかけてである。中国語では「魚」と「余」が同じユィという音なので、魚が「余裕が
Author: 文·楊捷 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 4 PDF HTML